茜庵

13里ってなんのこと?お芋と和菓子のイイ関係

お芋と日本人は、古くは江戸時代からのお付き合い。

ほくほくと口に広がる素朴な甘みは、庶民の間でじわりじわりと人気をひろげ
はじめは屋台、そのうちに店舗を構える芋屋も増えて、
江戸後期には、すっかり人気のお八つになったのだそう。

「13里」?「8里半」ってなんのこと?

どちらも、江戸時代に言葉遊びでつけられた、お芋の愛称。
「栗(九里)より(四里)うまい!」から、13里。
「栗に近い!」から、8里半。
栗と芋は好敵手・・・とはいえ
なんとなく、栗に引け目を感じているような愛称たち。

お芋にはお芋の魅力があるのだよ、と、
そっと肩をたたいてやりたいような、そんな気持ちにさせられます。

漢たちのアツイ「芋」物語。

お芋のルーツは、実は南米。アメリカ、そしてヨーロッパ、そして中国と旅をして、
最後に琉球を通じて日本に伝わります。
入り口は その名の通り「薩摩」藩。

5代将軍 綱吉の時代、薩摩藩が種芋を持ち帰り、
自分の畑で植えさせたところ、大成功。
これにより、九州でさつまいもの栽培がはじまります。

続く8代将軍 吉宗の時代に大活躍したのが、幕臣の青木昆陽。

栽培方法のパンフレット(!)まで作って各地に伝授したのだそうで、
このアツい努力の結果、江戸後期、度重なる飢饉を
何とか乗り切った藩が続出したのだとか。

昆陽の愛称は「芋神さま」。江戸時代、東西をかけめぐった芋神様と、
各地で支えた、名もなき「芋代官さま」に、額に汗した、農民たち。
このストーリー、大河ドラマになるのでは・・と、現代の和菓子屋は思うのでした。

現代「お芋」最前線。

さつま芋を品種改良して生まれた「鳴門金時」、
こちらは茜庵のふるさと阿波徳島が誇るお芋ですが、
現在はなんとパプアニューギニアでも栽培されているのだとか!
「キントキ」と呼ばれ、親しまれているのだそう。
苗付け指導をした日本の農家さんは、いわば現代の「芋神」さまといえましょうか。

見た目も味も、素朴で気取りがない、お芋の羊羹。
口に含めば、ほっくりとした甘味がゆっくりと広がっていく
焼き芋、いも羊羹、お芋のお菓子が、今日も小さな幸せを、運んでくれますように。

この記事で紹介したお菓子

鳴門金時の焼き菓子 うも

うもは古語で「おいも」のこと。とろけるような、ほくほくの芋あんを包んだ季節限定の焼き菓子。
ご自宅で召し上がる時には、レンジでチン!としていただいても、ナカナカいけますよ。
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菓游 茜庵

四国徳島城跡をのぞんで佇む、静かな菓子の庵。 上質ながら、遊びごころあるお菓子づくりを大切にしています。 心地よく和と暮らすお手伝いができれば幸いです。

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